天職とは「死にたい」と思うけど「辞めたくない」と思えた仕事のこと

ふと思いました。

「天職」とは、仕事でつまづいたときや、嫌になった時、「死にたい〜」と弱音を吐くことがあっても「辞めたい〜」と全然思わない職業なのかなと〜。

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飛行機に初めて乗ったのが、ロサンゼルスに留学する時。
しかも、運悪く乱気流に巻き込まれ、墜落するんじゃないかとオドオドしていました。

めちゃくちゃ帰りたいと思いましたが
しかし、「飛行機が墜落してもそれはそれで良いか〜」
そんなに心配することなくロサンゼルスに到着。

ロスの空港から、お金がかからないということで、言葉も話せないのに、公共のバスにスーツケースと共に乗り込み、当時のバスは、停留場のアナウンスなんて無い中、何故か、降りる場所を間違えずに、最初のユースホステルにたどり着いたのを覚えています。

今思うと、言葉が全然わからず、知り合いも一人もいない中、しかも留学斡旋業者にも頼まず、全部ひとりで手続きして自分の次の10年間を過ごす場所によく行ったものだな〜と自分でも感心しています。

しかし、最初の夜、「ホンマにこれで良かったのかな〜、帰りたいな〜」
と思ったことを覚えています〜。

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日本では、中学生の頃から文化祭でドラマなどを撮っていましたが、アメリカで生まれて初めて英語でショートフィルムを作った時も・・・。

その当時も、英語はあまりしゃべれませんでしたが、アメリカ人の知り合いがどんどんショートフィルムを作っていったので、恥を偲んで、短大時代に映画を自分で撮ることになりました。その時は、そんなに英語出来なかったのに・・・。

その時の脚本を書き上げたときは、クリスマスイブの前日。

「みんな、クリスマスで家族とかカップルとかでイベントしているのに、オレは映画の脚本家書きか〜」
と思いながらも、クリスマスシーズンに、一人で脚本を書いている時の充実感が忘れられません。

オーディションをし、スタッフを集めて撮影の日の朝。
10人以上の俳優さんやスタッフが集まったのを見た時、
「これでしくじったら、最悪だな〜」
と凄いプレッシャーを感じた事を覚えています。

しかし、そのプレッシャーを乗り越えて、生まれて初めて英語でショートフィルムを完成させました。

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そして、記念すべき、生まれて初めてプロデュースした長編映画のプレミアの日。

800席の観客席が、前売りの時点で、満席に・・・。

しかし、上映用マスターに間違いがあるかもという悪い知らせがあり、緊張している監督、他のプロデューサーからの怒号をうけながら、緊急テストに向かっている時・・・

2年間の沢山の人の努力と、プレミアを待っている800人の観客の期待という重いプレッシャーも加わり・・・

ハリウッドにある、DGAの会場に行く途中、
「フリーウェーで中央分離帯に車を激突させたら、楽になるかな〜」
と本気で思ったこともあります。

でも、なんとか、最後は上手く行きました。

映画のクライマックスでは、「泣かせたい」と思ったところで、観客の方のすすり泣き声を劇場の後ろから聞いたときの感動。

私は、小説や舞台・ドラマなどもありますが、映画は「人を泣かせても許してもらえる」唯一の職業の1つだと思っています。そこで、人を泣かすことができた時の達成感はたまりませんでした。

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しかし、このような達成感を絵られる時間は、長い時間の間にも限られたごく一部の時間のみです。

映像を撮り始めて27年。その間に大小なりとも携わった映像作品は100作品ほど。

費やす時間のほとんどは、ストーリーを考えたり、資金を集めたり、スタッフを集めたり・・・。

しかも、数カ月、数年かけて作った作品でも、評判が悪ければ、それまでの努力がパーです。

だいたい、70%の努力。20%の苦痛。5%の失敗。5%の達成。といった感じでしょうか。

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それでも、この5%の為に、残りの95%の時間を無駄にできるんですよね〜。

浮世絵で有名な北斎は「不合理もまた美なり、美はまた不合理なり」という言葉を残しています。

「死にたい〜」と弱音を吐くことがあっても「辞めたい〜」と全然思わない

不合理な事や嫌な事を数多く経験しているのに、最後のゴール<美>があると信じているからこそ、無駄なことを続けて行く・・・。

まあ強引に自分を納得させて今日も編集作業に戻ります。

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