究極の選択

つい先日、ロンドンパラリンピック日本代表で車いすランナー、伊藤智也さんを紹介しました。

大きい会社の経営者として成功している中、突然、多発性硬化症という病気に侵され、左目を失明し、下半身不随に・・・しかし、車いすランナーとして第2の人生を歩みだし、北京パラリンピックで、金メダルを2個獲得された、三重県鈴鹿市在住のアスリートです。

元々、経営者で、世界のアスリートだったこともあり、彼の講演は大変素晴らしく、企業・学校・団体に引っ張りだこです。

一度、智也さんのお話を聞く機会があれば、聞いていただくか、講演に読んで頂ければと思います。こちらの記事にも一部、ビデオをアップしています。

さて、前回、ロンドンで、「1ヶ月遅れてもう一つの戦いが始まる」と書きましたが、一足早く、悪い知らせが届いたのです。

先日の記事でも、伊藤選手が侵されている多発性硬化症は、いつ再発するかもしれない病魔に侵されていると書きました。

智也選手が前回、多発性硬化症が再発したのが 2年前ほど前になります。

それが、この肝心なロンドンの前に再発してしまいました。

今、智也さんは、日本代表としてロンドンをとるか、命をとるかの選択に迫られています。

多発性硬化症の症状が悪化すると、命を救うためにしなければいけない治療方法・・・。

それは、筋肉の硬化を和らげるために、ステロイド剤やインターフェロン等の薬を投入することです。

多発性硬化症は、いろいろな薬や治療法が開発され、普通に治療を続けていれば命に別状はありません。

しかし、競技者にとってはドーピング違反になってしまうのです。ドーピング検査に引っかかってしまうと、パラリンピックの参加資格を失ってしまうどころか、永久に競技ができなくなってしまう可能性もあります。

そして、ドーピング違反にならないためには、普通だったら投与すべき薬が投与できなくなり、命の危険が増してしまいます。

4年間、北京より、再発を乗り越え、この日のためにきつい練習を繰り返されてきました。

練習ではありますが、世界記録タイムもだすことができたようです。

今、智也さんは、病気の進行を静観しながら、究極の選択を迫られています。

自分は何も言うことができません。

見守るだけです。

追記 (8/18):

主治医から、制約はいろいろあるが、出場OK の許可を得られたとのことです!

嬉しいことではありますが、私としては無理はしてほしくないというのが本望。嬉しくも複雑な気持ちです。