*この記事は転載記事のため、クリエイティブ・コモンズライセンスではありません
以下の記事を転載させていただいたのには理由があります〜。それは後日に〜。
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■ Japan On the Globe(661) ■ 国際派日本人養成講座 ■
Common Sence:アルピニスト野口健が聞いた声
洞窟の中の夥しい戦没者の遺骨が、野口さんに語りかけた。
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■1.「もし、生きて帰れたら」
世界的なアルピニスト野口健さんは、ヒマラヤで死を覚悟した事があった。8千メートルを超える高山で、何日も吹雪が止まず、テントから一歩も出られない。酸素は、あと2日分しか残っていなかった。2005(平成17)年4月のことであった。
死を目前にして、野口さんが痛切に思ったのは、「日本に帰りたい」ということだった。[1,p7]
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このまま吹雪が止まなければ、僕の遺体は、きっとテントごと吹き飛ばされてしまうだろう。自分の意思で山へ来たんだから、たとえそうなっても仕方がない。でも、せめて誰かが僕の遺体を見つけて故郷(日本)に帰してくれないだろうか・・・
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その時、ふと「じいちゃん」から聞いた海外での戦没者のことが頭に浮かんだ。じいちゃんは終戦の時はビルマ戦線で参謀をしていたが、戦後は「たくさんの兵隊を死なせてしまったのに、私だけが生き残ってしまった」と何度も野口さんに語っていた。
異国の地で、夥しい数の日本兵の屍が骨となり、大半が今もその土地に残されたままになっている。その人たちも、今の自分と同じように、せめて遺骨だけでも故郷に帰してくれないか、と思っているのではないか。
野口さんは、まだバッテリーが残っていた衛星電話を取り上げ、日本にいる事務所のスタッフにこう伝えた。[1,p8]
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もし、生きて帰れたら必ず、戦没者の遺骨収集に取り組むよ。紙切れ一枚で招集され、お国のために亡くなっていった人たちを帰したいんだ。
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■2.「すべての兵士を故郷に帰す。約束は必ず守る」
海外での戦没者の遺骨収集は、我が国だけの問題ではない。たとえば、アメリカは国のために命を掛けて戦った戦没者に対して、「すべての兵士を故郷に帰す。約束は必ず守る」を合い言葉として、その約束を国を挙げて果たそうとしている。
たとえば、先の大戦での硫黄島の激戦において、米軍は約5千人の死者を出したが、そのうちのただ一人だけまだ遺骨が見つかっていないので、2007(平成19)年に多人数の調査隊を派遣してきた。[1,p135]
戦没者の遺骨が故郷に帰るときは、「ナショナル・ヒーロー」として盛大な歓迎セレモニーが行われ、地元メディアが大々的に報ずる事が慣わしになっている。
自分が異国の地で戦死した後に、母国から見捨てられるようなことになったら、誰が自分の国を守るために命を掛けるだろうか。そしてそのような気持ちが広がったら、平時においても国のために尽くそうとする気風は失われ、国家は単なる烏合の衆となってしまう。それは国家自滅への道である。
米軍は「すべての兵士を故郷に帰す」という約束を果たすために、戦死、あるいは行方不明になった兵士の捜索や遺体回収を行う専門組織を持っている。そこでは約4百人の専門スタッフが年間50億円の予算を使って、活動しているのである。
■3.いまだに115万柱の遺骨が異国に
それに対して我が国はどうか。大東亜戦争における海外戦没者は約240万柱。これまで厚生労働省が主管して約31万柱の遺骨を収集してきた。これ以外に、陸海軍の軍人や海外在留邦人の引き上げに際して送還した遺骨を含めると、約125万柱が帰国している。
すなわち、いまだに115万柱ほどの遺骨が異国で野ざらしになっているわけである。厚労省によると、約30万柱が艦船や飛行機ごと海に沈んでいる海没遺骨、約26万柱が中国や北朝鮮など収集困難な国にあり、収集困難な遺骨の最大数は約59万柱という。
国による遺骨収集事業は、かつては年間2、3万柱というペースであったが、近年は収集活動の中心となっていた遺族会や戦友会の高齢化が進み、年間数百柱というペースに落ちてきている。
厚労省で遺骨収集事業に携わる現在の職員数は29名、予算は3億円ほどで、米国の約15分の1程度の規模。これで年間1千柱の遺骨を収集したとしても、あと115万柱の帰国を実現するには、千年以上もかかってしまう。
野口さんが、遺骨収集に取り組む決意をした時点は、このような状況だった。
■4.「ほかの人間がやらないのなら、自分がやるしかない」
幸いにして日本に生還した野口さんは、遺骨収集に取り組もうとしたが、それからが難関だった。アルピニストの野口さんは、一年の3分の1は海外遠征をする。日本にいる間は、講演依頼がひっきりなし。また環境問題にも取り組んでいて、その仕事や勉強にも追われていた。
「今の時期に無理して、遺骨収集・調査に行く必要はないのではないか」という声も事務所のスタッフの中からあがった。また、世間から「右寄りと見られかねない」と反対する声もあった。
遺骨収集に実績のあるNPO法人に交渉して、派遣団の一員に加えてくれるよう頼んだが、スケジュールが合わないなど、なかなか話がまとまらない。
そんな経緯を野口さんがブログに書いたところ、それを見た「空援隊」というNPO法人の理事・事務局長、倉田宇山(うさん、53)氏から、「一緒に行きませんか」と誘われたのである。渡りに船だった。
倉田さんは数年前にフィリピンに残されている日本軍兵士の遺骨のことを聞き、初めて現場を訪れた。そこで見たのは、放置されていた夥しい数の日本軍兵士の遺骨だった。
その現場を見てしまった倉田さんには、「ほかの人間がやらないのなら、自分がやるしかない」と思った。以来、約3年間で30回もフィリピン各地を訪れた。費用は、別の仕事で得た収入をつぎ込んだ。
「空援隊」のスタッフの多くは20代の若者で、無給のボランティアである。彼らもアルバイトをしながら、この活動に情熱を注ぎ込んでいる。
■5.「こうして日本人が迎えに来てくれたのは嬉しいことだよ」
平成20(2000)年3月、野口さんが空援隊と共に最初の遺骨収集に訪れたのは、フィリピンのセブ島の空港から車なら5分とかからない民家の庭先だった。このセブ空港に降り立つ多くの日本人観光客には、そのすぐ近くで日本軍兵士の遺骨が眠っているなどとは知るよしもない。
その家の持ち主は、町の公安委員を務めるイサビル・ラリンティさん(77)。ここにはかつて日本軍の部隊が駐屯し、当時10代前半のラリンティさんは、「オリガサさん」という若い通信兵と仲が良かった。
ここにアメリカ軍機が激しい空襲をしかけ、日本軍部隊も機関銃などで応戦したが、劣勢は否めず、何人もの遺体が庭に折り重なった。オリガサさんはラリンティ少年に「ここは危ないからお前は逃げろ」と言ってくれた。
その後のオリガサさんの行方は分からないが、その遺骨はここに眠っているかもしれない。ラリンティさんは言う。[1,p18]
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仲良くしていた人たち(日本兵)を長い間、放っておいたのは、とても心苦しいことだった。こうして日本人が迎えに来てくれたのは嬉しいことだよ。
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その庭からは掘れば掘るほど、遺骨が出てくる。野口さんは、ラリンティさんが掘り出した遺骨を手に取ってみた。下あごについた奥歯は、虫歯や治療の跡もなく、驚くほど真っ白だ。まだ、20歳前後の若者だったに違いない。
野口さんは、遺骨に向けてそっと手を合わせ、持参した線香をあげた。
■6.洞窟の中の夥しい遺骨
その後、数カ所目に訪れたのは、セブ島西岸中部、カーカーという街からほど近いジャングルだった。地元ガイドによると、そこからさらに急な山道を1時間ほど登ったところが現場だという。
もう午後4時を過ぎていたが、夕方になると、毒蛇のコブラやマラリアを感染させる蚊が活動を始める危険な時間帯となる。夕方が近づいても、ジャングルの気温はなかなか下がらない。
その日は午前2時に出発し、みんな疲れているが、限られた資金でなるべく多くの現場を廻ろうとすると、どうしてもこのような強行軍となってしまう。
やっと辿り着いた山中の洞窟の中に驚くべき光景が広がっていた。足の踏み場もないほど、地表に積み重なっている夥しい数の遺骨である。あまりの凄まじさに、野口さんは息を呑み、思わず悲鳴に近い声を上げた。軽く150人分は超えているであろう。
カーカー付近には米軍が上陸している。さらに、米軍はゲリラ達に武器を与えて、終戦後も日本の敗残兵の掃討戦を続けたという。米軍やゲリラに追い詰められて集団自決した部隊だろう。
■7.「俺たちは60年も待っていたんだよ」
しかし、当時は日本政府が派遣した収集団にしか、遺骨の持ち帰りは認められてはいなかった。後に、倉田さんの努力で、この問題は大きく改善されるが、この時点ではせっかく発見した遺骨を自ら持ち帰るすべはなかった。
後ろ髪を引かれる思いで洞窟を出たとき、野口さんには「声」が聞こえたという。「声」はこう言った。[1,p42]
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おーい、もう帰ってしまうのかい。せっかく見つけてくれたんだろう。俺たちは60年も待っていたんだよ。
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「恐らくわれわれは60年ぶりに来た日本人だった。それなのに何もできない・・・。」
「間もなく政府の収集団が来る。もう少しの辛抱です」と野口さんは唇を噛みしめながら、そっと手を合わせるしかなかった。野口さんはやるせなくなった。
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戦争が終わっているのに、死なねばならなかったなんて・・・。さぞかし無念だったろうな。追い詰められて、追い詰められて、肉体的にも精神的にもぎりぎりの状態の中で、じわじわと亡くなっていったんだ。
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■8.英霊の帰国
倉田さんの率いる空援隊の活躍と、野口さんの講演活動などで、一時は厚労相が幕引き発言までした遺骨収集事業は、大きな転換機を迎えた。
それまで遺族会や戦友会などの情報と依頼によって行われていた収集は、関係者の高齢化のために先細りとなっていた。そこに倉田さん率いる空援隊が、現地人の情報ネットワークを築く所から始め、収集数を飛躍的に高めた。
また、現地で収集した遺骨も、フィリッピン政府の許可を得て、民間の収集団でも持ち帰れるようにした。
平成21(2009)年3月、野口さんは3度目の遺骨収集に参加した。総勢9人、1週間ほどの日程でセブ島やレイテ島を回り、419柱の遺骨と共に帰国する事ができた。2年前、平成19年の政府直轄の収集団による全収集数が760柱なので、その半分以上を1回の派遣で達成してしまったことになる。
成田空港では、419柱の遺骨と共に帰国した野口さんらを、多くの国会議員や関係官僚、メディア関係者、一般の人々たちが暖かく迎えた。白布に包まれた遺骨を納めた箱を手押しカートに載せて出てきた野口さんらに、カメラのフラッシュが浴びせられた。
野口さんは、誰も出迎えに来てくれないのでは、と心配していたが、杞憂に終わってホッとすると同時に、目頭が熱くなった。
戦没者の英霊は、今、懐かしい祖国の土を踏む事ができたのだ。そして、それを暖かく迎えてくれる人たちがいる。
■9.「国としての決意の問題」
空援隊の活躍に刺激されて、政府も「一日も早く、一柱でも多く遺骨を収集していく(桝添要一・厚労相)」との決意を語った。
野口さんは、遺骨収集を「国としての決意の問題」と言い切っている。[1,p91]
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国の責任で帰すのか、という決意があるのかどうか。それが試されている。国のために亡くなった人を粗略に扱う国は先がない。やがて滅びてしまうだろう。だれも国のために命をかけようと思わなくなるからだ。
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野口さんのいう「国」とは、政府という意味だけでなく、当然、我々国民一人ひとりも含まれていると考えるべきだろう。子孫である我々のために亡くなった先人を、我々自身がどう扱うかが、問われているのである。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 喜多由浩『野口健が聞いた英霊の声なき声―戦没者遺骨収集のいま』★★★、H21、産経新聞出版
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